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熊本地震から考える私たちの地域
そのとき、障害者は?
 
  瀬谷区障害者地域自立支援協議会と瀬谷区地域防災総合講座(第3回)の共催で、1月29日(日)瀬谷区公会堂で「そのとき、障がい者は?」~熊本地震から考える私たちの地域~の講演とパネルディスカッションが行われた。
 開演前には、短編映画「こんな時、どうしたらいいの?~避難所で」が上映されていた。

 講演Ⅰは、熊本学園大学水俣学研究センター長で、昨年の熊本地震で急遽避難所として開設し、責任者となりその運営を担った花田昌宣氏が「熊本地震被災とインクルージブな避難所の経験」を語った。

 当大学は指定避難所ではなかったが、発災直後から校舎を開放し避難所として開設。16日の本震後には750名の避難者、うち障がい者は60名。最後の避難者の行先が決まった5月28日まで24時間支援体制で運営。最後まで残ったのは、障がい者、高齢者、生活困窮者たち20名ほど。様々な人が避難してくるが、それは地域の縮図。様々な社会階層の人たち、貧富の格差もあり、様々なニーズがあった。日常生活そのものが、凝縮されて、そのが進行して表れていた。
   

 発災前には、同じ地域で暮らしていた人たち。障害者であれ、要援護者であれ、排除、隔離しない原則で対応。「福祉避難所」へ、という考えは取らなかった。ただし、そういった人たちへの合理的配慮として空間設定で対応。学生ボランティアも含め、生活環境の確保のための体制づくり。「管理をしない、配慮する」原則で規則・ルールは作らない。出入り自由だが、常に受付に人を。
 緊急時の柔軟な組織運営が重要で、手続き、マニュアル志向では動かない。共に生きるという共生社会を根付かせることが、緊急時に柔軟な運営ができることに生きるのでは。

 講演Ⅱは、沖縄大学名誉教授で作家、横浜の寿町で長く生活相談員をされたこともある野本三吉氏が「いのちの旅人・野本三吉~生きること、それが私たちの仕事」テーマに語った。

 野本さんの若いときの「死」の体験、日雇い労働者の街での越冬闘争や夜間・識字学校、懇談会、無料診療所、子ども食堂、夜間銀行うくりなどの体験から、「生きる、生きていくこと」の意味を考えた。生きていくことには安心して得られる衣食住医と仲間がいることが肝要。共に生きる場、地域共同体、暮らしの仲間づくりがあって「生きる」ことができる。「自立」とは他者を支え合うことで、そういう地域社会づくりが求められている。

 休憩をはさんで、かたるべ会の「お笑いパフォーマンス」に続き、パネルディスカッションに移った。
 講演者の花田氏、野本氏、瀬谷区危機管理・地域防災係長の菅家氏、 知的障害理解啓発グループ「アントママ」代表の八木澤氏、障害児地域訓練会「ほっぺ」代表の上原氏の5人が司会者の進行に合わせ、意見交換をした。
 障害者・家族が地域に参加するのが先か、地域が障害者との理解ある交流ができる環境が先か、といった意見、災害時要援護者に対する行政の取扱いについて、熊本も災害時だからといった扱いはなかったとのこと。